『Cacao Journey』
カカオが変えるもの
「カカオは心の鍵を開けると信じられていました。運命を解き放つと。」この言葉は“ショコラ”という映画の中に出てくるフレーズだ。この映画の中で様々なタイプの人々がチョコレートを通じて交差し、心の鍵を開け、人生の価値観や家族や友人との関わり方を変えて行く。小さな一粒のチョコレート。その小さなひと口が人生を変える物語だ。
私がチョコレートそしてカカオに強く興味を持ったのはあるチョコレートを食べ、そのチョコレートがもつ物語を知ってから。それはフィジーで作られた“FIJIANA CACAO”のチョコレート。フィジー在住の日本人、図越夫妻が作っているものだ。
日本で暮らしていた頃、毎日仕事に明けくれていた図越さんは、家族で過ごす時間をつくるために仕事を辞め、海外移住を決意。それだけでも一大決心だと思うのだが、その後がすごい。家族みんなで地球儀をクルクル回し、指をさした場所に移住しようと決めたのだった。そう、指の先にはフィジーの地図が・・・。それから、図越さん家族は現地でレストランを開くのだが、それが大盛況。しかし、それに嫉妬した家主から建物の使用を止められ、泣く泣く手放すことに。途方に暮れていた時に思い出したのが、レストランで人気だったチョコレートを使ったデザートだった。過去にフィジーでカカオの栽培をしていたことを聞いた図越さんは、フィジーのカカオでチョコレートをつくることを決意。それから、2年間カカオの木を探すことになる。過去に栽培されていたのにもかかわらず、カカオの木は全く見つからない。政権交代によって栽培が中止されたことを知ったのは探し始めてしばらく経ってからのことだった。
そしてあきらめかけた頃、一人の人物に出会う。「あなたを20年間待っていました。」その人は初めて会った図越さんにそう言った。彼の亡くなった父が、きっといつかここへやってくる人がいるから、それまでカカオの木を切らずに守っていてほしいと言い残し、その約束を今まで大切に守ってきたのだった。それから図越さんは独学でチョコレートづくりをはじめ、今ではヨーロッパでも名前が知られるショコラティエに。そして現在では沢山フィジーの人々を雇用し、彼らの生活の安定を第一にカカオ農家の再生や教育を進め、社会的、経済的な成長を援助し続けている。カカオとの出会いで図越さんの運命が変わり、その出会いでフィジーの人々の人生も変わったのだ。
神の食べ物
カカオの学名テオブロマ・カカオ(Theobroma cacao)はギリシャ語で「神 (theos)の食べ物 (broma)」を意味している。今ではコンビニやスーパーで手軽に買えるチョコレートも、遠い昔は神様へのお供えもの、神聖な食べ物として扱われていた。その原産国はメキシコ周辺と言われ、マヤ文明やアステカ文明では飲み物や薬、通貨として利用され、15世紀末にヨーロッパ人によって世界中に広まった。紀元前19世紀に生まれたカカオが、現在の固形チョコレートとして食されるようになったのは18世紀。そこまでの3千年以上、カカオは飲み物として利用されていた。メキシコで現在でも日常的に愛飲されている“ショコラトル”はチョコレートの起源の飲み物とされ、カカオの実を砕いたものに砂糖やはちみつで甘さを加え、トウガラシやバニラ、シナモンなどのスパイスを入れた、カカオの風味を存分に味わえる飲み物だ。カカオにはポリフェノールが豊富に含まれ、カカオだけに含まれるデオブロミンは19世紀には循環器の治療薬として使用され、現在では血管拡張薬や利尿薬などにも用いられるようになっている。また、カカオの香りは記憶力や集中力を高め、抗ストレスへの効果も報告されている。
アステカの兵士たちがショコラトルを飲んでいたことを知ったスペイン人がヨーロッパに持ち込み、ホットチョコレートとして瞬く間に広まったのは、その香りと効能を知ったからだろう。近年、カカオはスーパーフードとして様々な効果が報告され、健康のために食べる人も増えてきたが、もともとはアステカ人やマヤ人の健康ドリンク、エナジードリンクとして飲まれていたのだ。映画“ショコラ”に出てくるショコラティエの名前も「MAYA」。マヤ人のマヤからつけられた名前だ。主人公の女主人の2千年前のレシピで作ったホットチョコレートをひと口飲んだ村人が、顔に赤みが差し、笑顔になっていく姿はとても印象的なシーンだ。
カカオは果物
カカオのことを知って、まず驚いたことが実の色だ。多くの人がカカオから連想するのは、アーモンドを大きくした様な茶色や黄色の木の実だろう。実際はカカオの実の色は様々で、緑や黄色、ワインレッドが混ざり合いとてもカラフル。そして、実り方がとても面白い。林檎の様に枝にたわわに生っているかと思っていたが、カカオの実は枝だけではなく木の幹にも直接生っている。その姿は、沢山のカラフルなラグビーボールが木の周りで宙に浮いているようにも見える。そのボールがカカオポッドと呼ばれるカカオの果実。表面はごつごつしていて皮が厚く、カボチャの様な手触り。そして、その中にある種がチョコレートの原料になるカカオ豆だ。カカオポッドを割ると、親指の頭ほどのカカオ豆が白い果肉につつまれて、20粒〜50粒ほど入っている。何度かその果肉の部分を食べたことがあるが、カカオの香りは全くしない。白くてクリーミーな果肉は酸味があり、まるでライチの様な香りでとっても美味しいものだった。日本ではほとんど手に入らない果肉だが、最近では”Bean to Bar”のチョコレート専門店などで食べることもできるので、一度試してみて欲しい。
実はその果肉、チョコレートの味を左右する大きな役割を持っている。収穫されたカカオ豆は果肉のついたままの状態で、農家の人々よってバナナの葉などに包まれ、軒下などで発酵される。微生物によって果肉を発酵させることで、独特の香りや酸味が醸成されるのだ。発酵が終わったカカオ豆は乾燥棚の上で天日によって乾燥。その後、海を渡り世界に運ばれていく。輸入されたカカオ豆は各所で焙煎され、ハスクと呼ばれる皮を取り除き、ニブと呼ばれる状態になる。グラノーラに入っているのも、このカカオニブ。カカオそのものの味が楽しめるスーパーフードだ。そして、カカオニブをさらに粉砕し、ペースト状にしたものがカカオマスになり、チョコレートの原料として使用される。カカオマスに砂糖や粉乳、ココアバターを加えて成型したものがチョコレート。Bean to Barのチョコレート専門店などでは、豆の段階で直接現地から輸入し加工しているところも多い。シングルオリジンのカカオ豆を使用したチョコレートは酸味や香りの違いがはっきりわかり、カカオが果物だと感じることができる。最近では、コーヒーの様に産地や生産方法による味の違いを楽しむ人も増えてきた。
カカオをつくる人々
カカオの産地は、コーヒーと重なる部分が多く赤道に近い中南米諸国、カリブ海諸国やアフリカ諸国、アジアではインドネシアやマレーシア、ベトナムなどでも生産されている。チョコレートといえばアフリカのガーナをイメージする人も多いと思うけれど、実はインドネシアのカカオの生産量はガーナより多い。カカオ豆が産地から出荷されるまでの過程は、それぞれの伝統に沿った形で栽培と収穫がされ、バナナの葉や木製の箱の中で発酵。その後に天日の下で乾燥し、出荷される。実はチョコレートは発酵食品。出荷までの過程でとても重要なのが発酵の部分であり、発酵に不可欠な果肉の部分がカカオの味を決める重要な役割を果たしているのだ。「カカオ農家の人達はチョコレートを食べたことがない。」と聞いたことがある人もいるだろう。赤道近くで生産されているカカオはチョコレートにしても溶けてしまうこと、嗜好品であるチョコレートの価格が非常に高く、買うことができないのがその理由だ。インドネシアのカカオの生産量が高いにも関わらず、日本に入ってこない理由もそこにある。質の良いカカオを生産しているにも関わらず、豆を早く沢山出荷することだけを考えて、インドネシアのカカオ農家は発酵というプロセスをせずに、乾燥させて出荷しているのだ。そのために味が落ちてしまい、混ぜ物としてのカカオ豆しか生産できなくなっている。カカオがチョコレートになり、農家の人々が食す機会が多ければ、発酵がいかに大切かわかり、手間を惜しんでも質の良いカカオ豆を生産できたのではないか。
最近良く耳にする“Bean to Bar” という言葉。これはカカオ豆の産地ごとの個性を生かし、豆からチョコレートができるまでの全工程(選別・焙煎・摩砕・調合・成形)を一貫して管理し、製造するとうこと。アメリカやヨーロッパで広まり、日本でも沢山の専門店が増えてきた。豆そのものの魅力を知ることができる場所が増えたことは、本当に嬉しいこと。そして、フェアトレードで豆を仕入れている店も多くなってきた。私が今まで出会った日本の“Bean to Bar”専門店の方やカカオの輸入者の方、カカオに携わる人々が共通していつも話してくれることがある。「カカオ農家の人々を笑顔にしたい。」ということ。私が出会った人達のほとんどが、実際に現地に出向き、農家の人々と一緒に汗をかきながら支援をしているのだ。フィジーの図越さんはもちろん、前に書いたインドネシアのカカオの現状を話してくれたカカオマイスターは、現在インドネシア政府と一緒に品質の良いカカオ作りに取り組んでいる。また、ペルーのアマゾンでカカオ農家を支援している日本人のシェフは、カカオを使った料理やスイーツを提案し、カカオの美味しさを日本人に伝えている。それぞれが日本でカカオに関わりながら、現地農家の人達の暮らしを変えている。
私とイラストレーターのハラダエリコさんは縁あって、図越さんのチョコレートのパッケージデザインを昨年より担当させていただいている。デザインを進める過程で知った、カカオの実の色や果肉の味、チョコレートができる過程、フィジーの歴史や文化。カカオの魅力を知ったことで、沢山の人と話す機会も増えた。それらは、図越さんとカカオの運命的な出会い、私達とチョコレートの出会いがなければ起きなかったこと。小さな一粒のチョコレートが人生を変えるなんて映画の中の話よね・・。そう思いながら、今まさにスプーンに乗せたそのひと口が、心の鍵を開け、マヤのチョコレートのように私達の人生を変えるひと口になるのかもしれない。
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